黒猫の見る夢if 第2話

ナイトオブラウンズの第七席を拝命してからの日々は、スザクが想像していたよりも忙しかった。任命式が終わるとすぐに、ラウンズとして恥ずかしくないレベルでの礼儀作法や軍事関係、とくに指揮官としての戦略を学ぶために専門の教師が割り当てられ、スパルタで教え込まれた。
それとは別に皇族の護衛、夜会、遠征などの任務もこなし、1日24時間では到底足りない日々が続き、気がつけばラウンズとなって1ヵ月が経過していた。
礼儀作法の類は父親が首相だった事もあり、幼い頃に叩きこまれたためすぐに解放されたのだが、軍事、特に戦略関係は「後は独学で学ぶように」と、大量の本を渡された。早い話があまりの物覚えの悪さに匙を投げられたのだが、スザクはそれに気付くことなく「解りました」と返事をした。軍事だけではなく、世界情勢や、現在進行中の作戦、戦況、皇族や貴族に関する資料など、頭に叩き込まなければいけない物は山ほどあるのだが、スパルタから解放されたと言う事は、最低限の知識は得たと判断し、あとは仕事をしながら覚えていけばいい。そう思い、スザクはようやく一息つく事が出来るようになっていた。
そんなある日、スザクは謁見の間へ呼び出された。




謁見の間へ入ると、そこには任命式以来顔を見ていなかった皇帝がナイトオブワン・ビスマルクを従えそこにいた。騎士の礼を取り、顔を上げる事を許された時、驚きのあまり一瞬ではあるが、思わずその顔を凝視してしまった。
いつも通り、威厳たっぷりの厳つい顔ではあるのだが、顔色が悪く、頬がこけているようにも見える。そういえば、ここ最近陛下が謁見の間にいる時間が短いのは体調を崩しているからだと、ナイトオブラウンズ達の控室で、スリーのジノが話をしていた。

「枢木よ、そなたに渡すものがある」

それでもその声はいつも通り威厳のある重厚な物で、皇帝の視線を受けたビスマルクは軽く頭を下げた後、自らのマントの後ろに隠していたらしい物を手に取り、スザクの元へと歩いてきた。
それは四角い箱のようなもので、上から豪奢な布がかぶせられていた。

「受け取れ枢木」

ビスマルクにそう促され、スザクは「はっ」と、短く返事をした後、恭しくその箱を受け取った。底の部分を持って受け取ったが、これは鉄だろうか。金属質で固い。そして予想以上に軽い。なんだろう。
そう思いビスマルクと皇帝の方へ視線を向けると、皇帝の方へ振り向いたビスマルクに対し、皇帝が重々しく頷いた。
それを受け、ビスマルクは再びスザクの方へと向き直り、恭しくその布をめくった。
視界に映ったそれに、スザクは思わず息を飲んだ。
その箱は、正確には金属でできた真っ白な籠だった。
その籠の中にいたのは見間違える筈がない、あの日目の前で姿を変えた、あの時の黒猫。
だが、その姿はあの日よりもさらに小さく見えるのは気のせいだろうか。
蹲り、身動き一つしない小さな猫。
まるで死んでいるようにも見えるその様子に、スザクは知らず息を呑んだ。
「・・・陛下、これは」
「ビスマルクから聞いたが、枢木は猫を飼っているとか。それはもう不要となった。お前はそれの友人であったのだろう?だから、貴様にくれてやろう。好きに致せ。とはいえだいぶ衰弱しておるから、もう長くは無いかも知れんがな。話は以上だ、下がれ」

皇帝のその言葉を最後に、スザクは追い出されるように謁見の間を出た。
その手には衰弱した黒猫が入った籠。
実子を猫にし、こんなに衰弱するまで何をしていたのだろう。今にも死にそうなその様子に、思わず目を細めた。だが、それは可哀想だと思ったからではない、いい気味だと思ったからだ。

「自業自得だ。君はそれだけの罪を犯した」

スザクがぽつりとつぶやいたその声が聞こえたのだろうか、子猫の耳は一度ぴくりと小さく動いたが、それだけだった。
卑怯だな、子猫の姿だからどうしても殺意が殺がれてしまいそうになってしまうじゃないか。だが、それではいけない。だってユフィの敵なんだ。多くの争いを生み出し、多くの人が死んだ元凶なのだ。さて、どう扱うべきだろうか。めくられた布を元に戻し、スザクは籠を手に廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
そこにいたのは先ほど別れたビスマルク。

「ヴァルトシュタイン卿、いかがなされました?」

こうやって見ると、ビスマルクは随分と疲れた顔をしている。
皇帝の体調がすぐれない事に関係があるのだろうか。

「枢木、話しておくことがある。その・・・猫の事だ」
「これの事ですか?」

スザクはいささか乱暴にその籠を持ち上げた。
その様子を見て、ビスマルクは悲しげに眉を寄せたように思えた。

「ああ。その猫は、この1ヵ月食事を一切取っていない」

食事を与えなかったのか。だから、やせ細っていたのか。
ならば、この衰弱もそう深刻な話ではないな。

「・・・成程、それで衰弱しているんですね。では戻りましたら、何か与えてみます」
「おそらくは無理だろう。何も口にしようとしないからな」
「何も?」

それはつまり、自分の意思で食べずに弱ったと言うわけか。

「ああ、何もだ。今日までは点滴でどうにか栄養を与えていたが、それも限界が近い。アスプルンドには話を通しているから、今後点滴はキャメロットで日に1度は行うように。陛下はああ言っておられたが、どの道残りの時間がないのであれば、友人であった枢木にと考えられたのだろう。姿は変わっても、記憶も心もあの時のまま変わっていないからな」

記憶も心も人間であったときのまま。
ならば猫としての扱いなど、プライドの高い彼には地獄だろう。
だから食事もせずにここまで弱ったのか。

「わかりました」

スザクは感情のこもらない声音でそう答えると、その場を離れた。
ビスマルクはああ言ったが、実際は違うのだろう。
スザクはもう友人などではない。皇帝に売り、その見返りとして地位を手に入れた上に、こんな畜生に姿を変えた原因でもあるのだから。間違い無く恨んでいる。
もしかしたら、彼が今現在最も恨んでいるのは皇帝ではなく、スザクかもしれない。
そんなスザクの元へ渡したのだ。
死ぬ瞬間まで苦しめと、そう言う事なのだろう。
それほど皇帝の怒りも大きいと言うことか。
例え哀れに見えても、心を許してはいけない。ずっと友人の振りをして、僕を騙し続けていた男だ。僕を認め、受け入れてくれた唯一人の、慈愛に満ちた優しい人を非道な方法で殺したのだから。
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